明日香村 平田 [風景]
今回の絵の場所は最近集中的に描いている明日香村立部地区の隣、平田地区。
このあたりも起伏に富んだ地形で、斜面に民家が集まり、細い道路がくねくねと通っていて、いかにも明日香村らしい風景です。
小高い丘の上に農業倉庫でしょうか、ぽつんと古びた小さな建物が乗っかっていました。
「明日香村 平田」 F6号
このあたりも起伏に富んだ地形で、斜面に民家が集まり、細い道路がくねくねと通っていて、いかにも明日香村らしい風景です。
小高い丘の上に農業倉庫でしょうか、ぽつんと古びた小さな建物が乗っかっていました。
「明日香村 平田」 F6号
芦屋川 河口 [風景]
杭全神社の桜 [風景]
素晴らしい青空の下、ウォーキングの帰りにふと見ると杭全(くまた)神社の裏側の桜が満開。
「三日見ぬ間の桜かな」というくらいですから、日を改めたのでは描けるかどうかわからないので、さっそく道具をかついで描きに行きました。
杭全神社は今から1150年ほど前の平安初期、征夷大将軍坂上田村麻呂の孫が創建したのが始まり。
ごつごつとして生命力あふれる境内の大楠は多くの絵描きたちの格好の題材となっています。
余談ですが、このあたりの平野(ひらの)という地名は田村麻呂の子の名前、平野麻呂からきています。
また、大坂夏の陣の最中、徳川家康が休息中に真田幸村の仕掛けた地雷で危うく命を落とすところ、たまたま手洗いに立ったために九死に一生を得ましたが、その場所がこの近くです。
「杭全神社の桜」 F6号
「三日見ぬ間の桜かな」というくらいですから、日を改めたのでは描けるかどうかわからないので、さっそく道具をかついで描きに行きました。
杭全神社は今から1150年ほど前の平安初期、征夷大将軍坂上田村麻呂の孫が創建したのが始まり。
ごつごつとして生命力あふれる境内の大楠は多くの絵描きたちの格好の題材となっています。
余談ですが、このあたりの平野(ひらの)という地名は田村麻呂の子の名前、平野麻呂からきています。
また、大坂夏の陣の最中、徳川家康が休息中に真田幸村の仕掛けた地雷で危うく命を落とすところ、たまたま手洗いに立ったために九死に一生を得ましたが、その場所がこの近くです。
「杭全神社の桜」 F6号